くも膜下出血で倒れてから脳内に水が溜まる水頭症と診断され、先日、水を抜く手術、シャント術を行った母の様子を見に行ってきた。

1歳の息子の手をひいて病室を訪れると、昼食をとっていた母はすぐに顔を上げて私たちを認めると、
「あっ!」
と、言った。

これは、普通の人ならなんてことないことなんだろうが、母にしてみたら、本当にすごいことなのだ。

今までなら、私たちが誰なのか、一瞬、考えねばならなかったのだから。
そして、「ああ、娘とその息子だ」と、ふむふむ納得するのである。
納得したからといって、うれしいとか、よく来たねとか、そういった感情がこみあげてくるわけでもないので、こちらとしては、軽くしょんぼりした気持ちになるのが常だったのだ。

それが、シャント術後は、一瞬で「あっ!」と、理解した。

そしてうれしそうに笑ったのだ。

感激した。

病室だと1歳の息子が泣くので、同じフロアにあるロビーに向かった。
ほんの数十メートルだが、母は、ちゃんとしっかり歩いた。
もちろん手をつないでいたし、手すりもつかんでいたけれど、小股のちょこちょこ歩きだけど、それでも今までとは考えられないほどしっかりと歩いたのだ。

びっくりした。
「お母さん!すごいやん!」と言うと、母はこれくらい何でもなさそうにちょっと得意げに笑った。

ロビーに着くと、3人掛けのベンチの真ん中に母を座らせて、1歳の息子を母の右隣に座らせた。

うっかりだった。
母は右の視力も聴力もあるけれど、脳が右側を認識しない。
なので、左側から声をかけてあげないといけないのに、私は母の右隣に息子を座らせてしまったのだった。

母はきょろきょろと辺りを見て、「子供は?」と聞いた。

そうだった!と、慌てて息子を左隣に座らせる。

母は自分の孫を認めて、うれしそうに笑った。

持ってきたシュークリームを一緒に食べたりして、ほんの小一時間だが一緒に過ごした。

たくさん話をしたが、母の話はほとんどわからなかったし、妹の名前もごっちゃになっているようだった。
だが、こちらの話は概ね理解しているように感じた。

劇的な変化は見られないだろうと言われたが、確実に、症状は改善したように思った。

良くなっている!
そう感じた。

久しぶりに、母に会えたような気がして私はうれしくなった。
希望が見えた気がしたのだ。

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2

くも膜下出血で倒れてからおよそ6か月後。
母の脳内に溜まってる水を抜くための手術が行われた。
水頭症のシャント術。

午後1時スタート。
手術する前の母は、なんだかもうすべて理解したように、ただ静かに笑っていた。
1歳の息子の手をひいて、頑張ってねと応援しながら手術室に入って行く母を見守った。

3時間ほどで手術は無事に成功した。
術後も術前と変わらず、母はただ静かに笑っていたようだ。
酸素マスクをしていたが。

術前の話では、そんなに水が溜まってる様子もないので、症状が劇的に改善する見込みはないだろうということだったが、医師が思っていたよりも水が抜けたみたいで、もしかすると、症状が良くなるかもしれないね。とのことだった。

水頭症は「手術で治せる認知症」と言われてるらしい。
リハビリ病院で「今が母のMAX」だと言われたけど、もしかするともっと良くなるかもしれない。
朗報だ。

母の脳からは、背中に向かい、腰の間を通って、何やら管のようなものを通され、脳内に溜まった水が常に抜けるようになった。

一生モノの手術だ。
きっとメンテナンスも必要になってくるんだろう。

でも、どんどんいい方向に向かってきている気がして何だか明るい気分だ!

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くも膜下出血で倒れてからおよそ半年後。
そろそろリハビリ病院も退院して次の行先を決めねばならないので、自宅に引き取ることを決意した矢先、

母の歩行がまた少し困難になってきているという報告を受けた。
失禁も増えてきたと。

水頭症だった。

脳の中で水が溜まり、それが脳を圧迫してしまうのだ。

リハビリ病院で外出許可をもらい、くも膜下出血で倒れた時に運ばれて手術を受けた大きな急性期病院で診察を受けたところ、母の場合、脳内に溜まった水はほんの少しだった。

シャント術を行い、脳内にたまった水を抜いたとしても、劇的に症状が改善する見込みはなかったが、放っておくよりも手術した方が良いだろうということになり、まだリハビリ途中だったが転院することとなった。

シャント術を行った後は、またリハビリ病院に戻る可能性があったものの、一度は退院という形になるので、荷物も全部、引き上げなければならなかった。

これもまた大変だった。

豪華リハビリ病院でのバカンス的な生活とスタッフの対応にすっかり慣れていたので、転院先の大きな病院のビジネスライクな接し方に何一つ優しさを感じられず、すっかり甘えきっていた自分に少しがっかりした。

そうだった。本来、病院ってこんなものよね。
患者さんが多くて忙しく大変なのはわかるけど。

主人に荷物を持って手伝ってもらい、介護タクシーに乗り込んで、1歳の息子の手を引きながら母の車いすを押し、入院の手続きを済ませ、部屋に向かい、必要な荷物だけほどいて、母をパジャマに着替えさせ、看護師さんが持ってくる書類にサインをし、

昼寝の時間をすっかり奪われて不機嫌に泣く息子をあやし、

私たちはすっかり疲れ果てた。

そして、「2日後に控えた手術の日に、また来るからね」と、みんなで母の手をとり、感覚のある方の左手をぎゅっと握りしめて帰ってきた。

母は少し不安そうに笑っていた。

もともと小さくて細い母なのだが、なんだか一段と小さくなったような気がした。

頑張って。頑張って。

お母さんも私も、主人も息子も。
みんな頑張って。
頑張って。

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くも膜下出血で救急搬送されてから5か月が過ぎようとした頃、母はどんどんと自分を取り戻して回復していった。

施設入所を考えていた頃の理由のひとつには、「おそらく本人はわからないだろうから」という気持ちがあったが、この頃になると母はすっかり自分の置かれた状況を理解していたと思う。

高次脳機能障害を患うこととなってしまったのだから、はっきりとしたことはわからないだろうが、「何か病気をしたんだろう」「そのため、ちゃんと歩けないんだろう」「話すこともできないんだろう」「話してることも理解できないんだろう」というようなことは、わかってきていたようだった。

だから、一人では生きて行けず、娘の世話にならなければならないのだ。

ということも。

退院後、私たちと同居することを理解した母は、とても気を使って恐縮しているように見えた。

可哀相だった。

デイサービスなどに通うとお金がかかって大変だから、私は家でじっとしてるからね。というようなことを言ってきたこともあった。もちろんそうはっきりと話したわけではないが。

しかしそうではないことを伝える手段がない。

言葉が離せない。理解できない。伝えられないし伝わらないというのは、とても悲しくてむなしい。
上手に言葉が話せたとしても、伝わらない気持ちはたくさんあるけれど、そもそも最初から伝える手段がないのとは、何か「伝わらないこと」へのあきらめ方が違う。

言葉を失ってしまった母は、空気を読むしかなかった。

みんなが笑っていたら笑ったし、ムズカシイ話をしていたら不安そうな顔をした。

むしろ何も理解できない方が良かったんじゃないかと思う時もあったが、いちばん辛いのは母だろうから、

とにかく母に気を使わせないように。
むだに不安にさせたりしないように。
いろいろあるけれど、全部、笑って吹っ飛ばすことにした。

できない時の方が多いけど。

昔、というか少し前だが、くも膜下出血で倒れて左脳にダメージを受けることになる前、母はよく水彩画を描いていた。
リハビリも兼ねて筆や絵の具を病院に持ち込んでいるが、左手では描こうとしない。

病院ではベッドに上体を起こして、いつも窓の外ばかり見つめているようになった。

それはなんだか少しさみしい。

母はまだ68歳。

病院では、母の状態は「今がMAXなんです」と言われた。
この先、加齢による老いが出てくるんだと。
なので、せめてお子さんがもう少し大きくなるまで同居は待たれた方がいいんじゃないですかと。

同居する決意がまた揺らぐ。

しかし、息子が成長するまで同居を待ってどうするというのだろう。
その間に、母は「加齢により」老いていくじゃないか。
病院側が言う、「母のMAX」から下降していくじゃないか。

だから決めた。

1歳の息子の世話をしながら最近よく考えるのだ。

お母さんもこうやって私を育ててくれたんだろうなぁと。

母はまだ68歳。
これからまだまだ長い人生が待っている。

「一度しかない人生、笑って過ごした方がいい。」

交通事故で死にかけた夫がよく言うセリフである。
月並みなセリフだが、本当に大事なことだと思う。

母にも笑って過ごしてもらいたい。

その笑顔がもっとたくさん増えるよう。

夫と、息子と、母と私。プラス猫。
もうすぐ、4人と1匹の家族が誕生する!

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先日、同居の練習ということでリハビリ病院から外出許可をもらって我が家にやってきた母だったが、ほんの1時間ほどの滞在で嫌気がさしたのか、まるで我が家に帰るように意気揚々と病院に戻って行った母を見て、先行き不安になった私は、「やっぱり同居は無理かも…。」と、妹に愚痴をこぼしてしまった。

そこでまさかの喧嘩勃発。

もともと仲良し姉妹というわけではなかったが、母がくも膜下出血で突然倒れたことをどうにか二人で対処しようと頑張って来た。

しかし一つの愚痴で亀裂が入る。

まぁまぁの感じで責められた。

いちいち応戦するのも面倒くさくて、それ以降、すっかり電話もしなくなり、妹の助けもあてにしなくなってしまった。

初めての子育てに、1歳の息子をおんぶして頑張って、それでやっと家族3人食べていける程度の商売に、自分のことで精一杯。何にも余裕などない私には、母を引き取って介護するというのはものすごい勇気の必要なことだったが、

ケアマネをしていて、介護の仕事に携わっている妹にしてみれば、母の介護などは朝飯前のようだった。

母はじっと座ってるだけなんだから大丈夫じゃないか。と。

だったらあんたが見てよ。

と、言いたい。もちろん言わないが。

責められるのは面倒くさいし疲れるので、黙ってた方が得。
しょうもない感じで気持ちが離れてしまったなぁと思う。
助け合わなくてはいけないのに。

姉妹なので、なんだか言ってもそのうちにまた元に戻るのかもしれないが、すっかりビジネスライクな関係になってしまった。

が、結局のところ、同居して介護していくのは私たち家族である。

これは決して妹のことでないが、言いたいことだけ言って何もしてくれない人というのは、それがだれであれ、本当に鬱陶しい。

自分たちの空いた時間に、都合のいい時だけ、まるで暇つぶしのように母と関わりを持つ人たちには、笑顔だけ置いて行ってほしいものである。

何もしないくせに、責めるな!

はぁ。
すっとした。

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くも膜下出血で倒れて左脳にダメージを負い、高次脳機能障害と右半身麻痺をかかえ、介護なしでは生きていけなくなってしまった母との同居を、悩みに悩んで決意した私が、自宅の間取り図を持ってはりきって母の入院しているリハビリ専門病院に行くと、

今度はどっこい。母が毒を吐いてきた。

本当に真剣に悩んで、悩んで、悩んだ後の同居の決意だったので、本当に心の底からむっとした。

一緒に暮らしたりしたら、もっとむかつきそうである。
やっていけるのか、また心配になった。

しかし、退院後は同居するということを病院側にも伝えてあったので、その準備として、1週間後に外出許可がおり、母が初めて私の自宅に介護スタッフ2名と共にやってきた。

私たちは母が倒れる直前に引っ越していたので、母は私たちの自宅には1度も来たことがなかったのだ。事前に練習しておかないと、退院後、いきなり同居は厳しいだろうと言うことだった。

午前11時、介護タクシーでやって来た母。
部屋の中を一通り見て回って、「きれいにしてるやん」と言った。
言いたいことと、実際に話す言葉がピッタリ合うことは滅多にないので、少しうれしい。

しかし車で1時間。遠いので疲れたのか、母はすぐに横になってしまった。
無理もない。

そうこうしてるうちに1歳の息子が、おっぱいをよこせと騒ぎ出した。
でも、男性スタッフが2名もいるのに、私はおっぱいを出せない。

そろそろ母の昼食の準備をしなくちゃいけない。
1歳の息子が、おっぱいおっぱいとさらにせっつく。

息子はぐずぐず言いながら、床におもちゃを転がしだす。
アンパンマンの手押し車がコロコロ動き出す。
右半分を脳が認識しない母には見えないので、転んでしまう。
慌てて片付ける。

母の昼食の準備。続き。

お味噌汁。残り物の煮物をチンして、卵焼き。
炊飯器のごはんがまだ炊けない。

いきなり母が、そこにあった小皿を左手に持って、お味噌汁をすくって飲みだした。
ちょっと待って!

介護スタッフが助けに入ってくれる。スプーンを渡す。

ごはんが炊けた。お茶碗を出す。熱いから気を付けて。

しかし母は食べない。
ろくに食べず、もうご馳走さま。
もう少し食べないとお腹がすくよと諭されても食べない。
かたくなに拒否。
何かが気に入らないのだ。

食べかすのついた口の周りをふいてあげる。

1歳の息子が限界にきて泣き出す。
介護スタッフに断っておっぱいを出す。あげる。

1歳の息子がおっぱいにぶら下がっているので、私は動けない。
母は動く。
転ぶからじっとしててほしいのに、動く。歩く。
段差につまずく。介護スタッフに助けられる。

そして玄関先で座り込んで、「帰る」とストライキ。
どう説得しても動かない。

介護スタッフも困り果て、結局、1時間ほどの滞在で母は病院に帰って行った。

帰る時はご機嫌で笑顔で手を振っていた。

疲れた。
こんなんで、本当に一緒に暮らせるのか。

先日、あれほど固く私の手を握って帰りたがった母とはまるで別人だった。

たった1時間だったのに、本当に疲れた。

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回復期リハビリ専門病院を退院後の母の行先について、日々、姉妹で話し合ったが、なかなかうまい方法が見つからないまま、どんどん月日は過ぎていき、その中で一度、近くのサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)に住んでもらおうかという話になった。

見学に行くとまだ新しいそこは、設備も立派だし住居もきれいだし、食事の面倒も見てもらえるし、案内してくれたスタッフのおばちゃんも優しそうだったけど、広い食堂はがらんとしていて寂しく、なんだかなぁ・・・。少しやるせない気持ちになった。

心苦しいけど仕方ない。
できるだけ毎日、息子を連れて会いに行ってあげよう。

無理矢理だったけど、一度は姉妹でそう納得した。

そのことを母に伝えに、病院に見舞いに行った時、母の様子がおかしくなった。

その日はいつもと違って1歳の息子の他に、夫も一緒に会いに行った。
そしたら母がいつもと明らかに違う様子で、そわそわと落ち着きなく、部屋の中をウロウロと行ったり来たりした。
ちょこちょこ歩きで、いつ転倒するかわからないので、ヒヤヒヤしながら背中に手を添えて、「お母さん、どうしたん?」と言いながら見守った。

クローゼットを開いてしまってある衣服を数枚、取り出したり、やっぱり直してテーブルに向かい、飾ってあった飼い猫の写真立てを胸に握りしめ、そのまま今度はパジャマを手にして、小さな小さなポーチと一緒に持ち、

私の手を握りしめ、「帰る」と言い出した。

全失語の母だったが、「帰りたい。帰る。今日は迎えに来てくれたんでしょ?」と、訴えているのがよくわかった。

母は介護職員の方に優しく肩を抱かれて、違うんですよということを諭されていた。

私も、今日は違うんだと、もう少しリハビリ頑張ってねと、声をかけた。今日はもう帰るけど、また来るからね。それまでまた頑張ってね。

支えられていても数メートルしか歩けない母が、私の手をしっかりと握りしめながら、1階の玄関まで私たちを見送りに来てくれたけど、もうしんどい、もうダメだって顔をして、介護職員さんの腕につかまり、小さな体を起こして私を見上げた。

とても、退院後はサ高住に住んでくれなんて言えなかった。

自分の状況を理解できているとも思えず、もしかして、くも膜下出血がきっかけで、認知症になってしまったのかもしれないと思った。

後に高次脳機能障害だと教えていただいたけれど、この時のことはきっとずっと忘れないだろうと思う。

母と別れた後、悲しくて、涙が出た。

やっぱり引き取ろう。一緒に住もう。

あの時、手術しなければ、母は今頃、亡くなっていただろう。
もう二度と会えなかったに違いない。
二度と会えない母に伝えたかったことや謝りたかったことや、できなかったことがたくさんあって、もっとできることがあったはずなのにと、後悔したじゃないか。

もうやめよう。

母のためじゃなくて、自分のために、できることをできるだけしよう。

もちろんできないかも知れない。
介護と育児と仕事。
出来なかったらその時また考えよう。
まだやってみてもないのに、不安に思っても仕方ない。

手術したんだから。

母にはまた、新しい人生が始まったんだ。

そこにほんの少し、私たちもお邪魔させてもらおう。

「俺もいるから」
またしても夫の優しい言葉にほっこり、あたたかくなった。

よし。がんばろう。
私は母を引き取り、同居することを決めた。

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リハビリ専門病院に転院後、2か月もすると退院後の母の行先を病院側から聞かれました。その行先に合わせたリハビリをするために必要であると。

可能かどうかは別として考えられる選択肢は4つ。

1.母が一人暮らしをしていた自宅マンションに戻して、また一人暮らしをさせる。
もちろん却下です。ありえません。

2.妹が引き取る。
戸建て住宅に旦那さんと子供4人と6人で住む妹。
昼間は母をデイサービスに行かせて、夜はみんなでワイワイがやがや。
子供たちももう上の子は20歳なので、見守りが必要な母を見守ってくれる人間には困らないけど、住宅の広さが足りません。
階段踊り場付付近や、手すりなど、介護保険で住宅改修したにしても、広さだけはどうにもならず、やはり却下。

3.私が引き取る。
賃貸マンションに主人と1歳の息子と3人で暮らしています。そこに、母が飼っていた猫も引き取ったので、母も寂しくないだろうし、母一人分のお布団を敷くスペースくらいは十分に確保できるので、この案が一番いいと思います。
でもそれには最低条件が、母一人で留守番できること。
夕方の17時頃になったら息子を連れて営んでいる居酒屋を手伝いに行かねばならないので、夜は独りぼっち。

どうにか、夜、母の面倒を見てくれる人がいればいいのだけれど、それがいない。

トワイライトデイサービスを探してみたけれど見つからない。
デイサービスの延長は長くても20時ころまで。それでは足りない。
毎日ショートステイさせるなら、最初から施設に入所させた方がよいのでは?と、思う。
小規模多機能なら、夜遅くまで見てくれるけど、迎えに行かなくてはならない。
車もないのに、1歳の息子を抱えて、母の車いすを押せるのか?私。
毎日、毎日、夜遅くに?

4.とりあえず、介護老人保健施設(老健)に入所させて、もう少しリハビリさせる。
3か月後にまた次の行先を考えなければなりませんが、時間は稼げるし、特別養護老人ホームへの入所待ちも兼ねて。

家の近くのサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)に見学に行ったりもしたけれど、やっぱり少し寂しい気がして、何となく嫌で・・・。

どうにか私が引き取れたらいいんだけどなぁ・・・。
と、考えても考えてもいい案が思い浮かばないまま、月日だけはどんどん流れていき、あと1か月で退院せねばなりません。

妹は、どうしても施設に入所させるのは可哀相だから嫌なので、私と同居すべきだと思っています。
はっきりとは言いませんけど。

母の彼氏(76歳)には、引き取れないことについて「親孝行してあげないのか」などと言われるし。

同居できたらいいなと思っています。本当に気持ちの上では。母はまだ68歳。若いので施設入所はかわいそうだという気持ちもよくわかります。私だって同じ気持ちです。

でも、快く「お母さんの面倒見てあげなあかん」と言ってくれる優しい夫や、まだまだこれから手のかかる1歳の息子に何かとてつもない迷惑をかけたりしない?
私に母の介護ができる?

子育てと、介護と、仕事?

そんなの私にできるのか・・・。
考えても考えても不安です。

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一人暮らしをしている母が突然、くも膜下出血で倒れてから1か月半。救急搬送された病院から地域連携している回復期リハビリテーション専門病院に転院することになった。

病院を見つけてきたのは妹で、見学もしたことがなかったので、当日、初めて訪れた私は、そのあまりの豪華さにビックリ!してしまった。

まるでホテル。

ここが本当に病院なのかと思うほどのゴージャスぶりだった。

地域連携のおかげで10畳はあろうかという個室も無料。
居室内に広々トイレ付。クローゼット完備。
お茶まで完備。

お食事は某大手ファミリーレストランが入っていて、患者さんに必要な食事を用意してくれる。

お風呂もピッカピカ。
ロビーもきっらきら。

それでいて病院ですから、高額療養費制度を使えば、1か月数万円でお食事つきで入院できるわけです。

今だから言います。
お世話になったので、こんなこと言いたくないけど、本当に今だから言うと、あまりゴージャスなのもどうかと思う。

リゾートホテルをコンセプトにしているらしいが、正直言って、それってほとんど必要ないと思うのです。

もちろん汚くて古いのが良いとか言ってるんじゃありません。

次に行くところが、完全に見劣りしてしまう!

ずっとここに居れるならいいんですけどね。
150日までしか居られない。

実際のところ、母はくも膜下出血で倒れてリハビリに来ているわけで、決してバカンスに来てるわけではないのですが、そんなこと、脳にダメージを受けてる本人は理解できないわけじゃないですか。

退院後、老健なり、他の施設に入所するなりするにして、この病院と同じクラスは望めないよなぁ…と思うと、本当に何か微妙なものを感じました。

建物や設備がゴージャス過ぎる!
などと贅沢な文句を言いましたが、それはそれ。

スタッフの皆さんが実に素晴らしかった!
本当に感謝しています。ありがとうございました。

理学療法士、作業療法士、言語聴覚士の皆さんが、1日、3時間もリハビリしてくれる!

母は、病院側も驚くほどに回復していきました。

上半身を起こせるようになり、まったく動かなかった右半身が動くようになり、少しずつ記憶を取り戻し、食事を食べれるようになったかと思うと、次は、支えてもらえればちょこちょこ歩きで歩けるようになり、日に日に笑顔が増えていきました。

毎月1度のカンファレンスの成績もよくなりました。

でも、言葉は話せません。理解もできない。
自分がだれなのか、今日は何月何日なのか、季節は今、冬なのか、春なのか。
短期の記憶ができないので、昨日の見舞客も忘れてしまう。

時々、意味のある言葉が出てくることがあるけれど、本人が伝えたいこととは違う言葉が出てきてしまう。

周りの雰囲気で何となく笑ったりするけど、意味はわかっていない。

一人で歩くと転倒してしまうので、歩かないでねと言っても通じない。
結果、転んでしまうので、ベッド下に赤外線センサーをつけられていました。

見守りが必要の、要介護4。

この病院にはあと1か月しかいられないので、次を探さなければなりません。

妹は大家族なので母を引き取る余裕がありません。
寝るスペースがないのです。

私は主人と1歳の息子と母とくらしていた猫ちゃんの3人と1匹暮らしだから、母一人分のベッドを置くくらいできるけど、夜は居酒屋を営んでいるので、見守りが必要な母を一人で留守番させなくちゃいけない。

退院後、いったい、母はどこに行けばいいのか。
どんな方法があるのか。

悩みます。

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くも膜下出血のグレード4で救急搬送された67歳の母が、手術も無事に成功して10日ほど経過した頃、ICU(集中治療室)から一般病棟に移された。

ネットで調べて情報過多の頭でっかちになってた私は、2週間はICUにいるものだと思っていたので、これはうれしかった。
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