母を引き取る決意をした時

回復期リハビリ専門病院を退院後の母の行先について、日々、姉妹で話し合ったが、なかなかうまい方法が見つからないまま、どんどん月日は過ぎていき、その中で一度、近くのサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)に住んでもらおうかという話になった。

見学に行くとまだ新しいそこは、設備も立派だし住居もきれいだし、食事の面倒も見てもらえるし、案内してくれたスタッフのおばちゃんも優しそうだったけど、広い食堂はがらんとしていて寂しく、なんだかなぁ・・・。少しやるせない気持ちになった。

心苦しいけど仕方ない。
できるだけ毎日、息子を連れて会いに行ってあげよう。

無理矢理だったけど、一度は姉妹でそう納得した。

そのことを母に伝えに、病院に見舞いに行った時、母の様子がおかしくなった。

その日はいつもと違って1歳の息子の他に、夫も一緒に会いに行った。
そしたら母がいつもと明らかに違う様子で、そわそわと落ち着きなく、部屋の中をウロウロと行ったり来たりした。
ちょこちょこ歩きで、いつ転倒するかわからないので、ヒヤヒヤしながら背中に手を添えて、「お母さん、どうしたん?」と言いながら見守った。

クローゼットを開いてしまってある衣服を数枚、取り出したり、やっぱり直してテーブルに向かい、飾ってあった飼い猫の写真立てを胸に握りしめ、そのまま今度はパジャマを手にして、小さな小さなポーチと一緒に持ち、

私の手を握りしめ、「帰る」と言い出した。

全失語の母だったが、「帰りたい。帰る。今日は迎えに来てくれたんでしょ?」と、訴えているのがよくわかった。

母は介護職員の方に優しく肩を抱かれて、違うんですよということを諭されていた。

私も、今日は違うんだと、もう少しリハビリ頑張ってねと、声をかけた。今日はもう帰るけど、また来るからね。それまでまた頑張ってね。

支えられていても数メートルしか歩けない母が、私の手をしっかりと握りしめながら、1階の玄関まで私たちを見送りに来てくれたけど、もうしんどい、もうダメだって顔をして、介護職員さんの腕につかまり、小さな体を起こして私を見上げた。

とても、退院後はサ高住に住んでくれなんて言えなかった。

自分の状況を理解できているとも思えず、もしかして、くも膜下出血がきっかけで、認知症になってしまったのかもしれないと思った。

後に高次脳機能障害だと教えていただいたけれど、この時のことはきっとずっと忘れないだろうと思う。

母と別れた後、悲しくて、涙が出た。

やっぱり引き取ろう。一緒に住もう。

あの時、手術しなければ、母は今頃、亡くなっていただろう。
もう二度と会えなかったに違いない。
二度と会えない母に伝えたかったことや謝りたかったことや、できなかったことがたくさんあって、もっとできることがあったはずなのにと、後悔したじゃないか。

もうやめよう。

母のためじゃなくて、自分のために、できることをできるだけしよう。

もちろんできないかも知れない。
介護と育児と仕事。
出来なかったらその時また考えよう。
まだやってみてもないのに、不安に思っても仕方ない。

手術したんだから。

母にはまた、新しい人生が始まったんだ。

そこにほんの少し、私たちもお邪魔させてもらおう。

「俺もいるから」
またしても夫の優しい言葉にほっこり、あたたかくなった。

よし。がんばろう。
私は母を引き取り、同居することを決めた。

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