「一度しかない人生、笑って過ごした方がいい。」

くも膜下出血で救急搬送されてから5か月が過ぎようとした頃、母はどんどんと自分を取り戻して回復していった。

施設入所を考えていた頃の理由のひとつには、「おそらく本人はわからないだろうから」という気持ちがあったが、この頃になると母はすっかり自分の置かれた状況を理解していたと思う。

高次脳機能障害を患うこととなってしまったのだから、はっきりとしたことはわからないだろうが、「何か病気をしたんだろう」「そのため、ちゃんと歩けないんだろう」「話すこともできないんだろう」「話してることも理解できないんだろう」というようなことは、わかってきていたようだった。

だから、一人では生きて行けず、娘の世話にならなければならないのだ。

ということも。

退院後、私たちと同居することを理解した母は、とても気を使って恐縮しているように見えた。

可哀相だった。

デイサービスなどに通うとお金がかかって大変だから、私は家でじっとしてるからね。というようなことを言ってきたこともあった。もちろんそうはっきりと話したわけではないが。

しかしそうではないことを伝える手段がない。

言葉が離せない。理解できない。伝えられないし伝わらないというのは、とても悲しくてむなしい。
上手に言葉が話せたとしても、伝わらない気持ちはたくさんあるけれど、そもそも最初から伝える手段がないのとは、何か「伝わらないこと」へのあきらめ方が違う。

言葉を失ってしまった母は、空気を読むしかなかった。

みんなが笑っていたら笑ったし、ムズカシイ話をしていたら不安そうな顔をした。

むしろ何も理解できない方が良かったんじゃないかと思う時もあったが、いちばん辛いのは母だろうから、

とにかく母に気を使わせないように。
むだに不安にさせたりしないように。
いろいろあるけれど、全部、笑って吹っ飛ばすことにした。

できない時の方が多いけど。

昔、というか少し前だが、くも膜下出血で倒れて左脳にダメージを受けることになる前、母はよく水彩画を描いていた。
リハビリも兼ねて筆や絵の具を病院に持ち込んでいるが、左手では描こうとしない。

病院ではベッドに上体を起こして、いつも窓の外ばかり見つめているようになった。

それはなんだか少しさみしい。

母はまだ68歳。

病院では、母の状態は「今がMAXなんです」と言われた。
この先、加齢による老いが出てくるんだと。
なので、せめてお子さんがもう少し大きくなるまで同居は待たれた方がいいんじゃないですかと。

同居する決意がまた揺らぐ。

しかし、息子が成長するまで同居を待ってどうするというのだろう。
その間に、母は「加齢により」老いていくじゃないか。
病院側が言う、「母のMAX」から下降していくじゃないか。

だから決めた。

1歳の息子の世話をしながら最近よく考えるのだ。

お母さんもこうやって私を育ててくれたんだろうなぁと。

母はまだ68歳。
これからまだまだ長い人生が待っている。

「一度しかない人生、笑って過ごした方がいい。」

交通事故で死にかけた夫がよく言うセリフである。
月並みなセリフだが、本当に大事なことだと思う。

母にも笑って過ごしてもらいたい。

その笑顔がもっとたくさん増えるよう。

夫と、息子と、母と私。プラス猫。
もうすぐ、4人と1匹の家族が誕生する!

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