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一人暮らしをしていた母がくも膜下出血で倒れてからおよそ半年。
1か月後にリハビリ病院を退院することが決まった。

退院後は長女である私と同居することになっているので、昨日、同居の練習も兼ねて、3度目のお泊まりをしに来てくれた。

車で小1時間かけて介護スタッフと共に到着した母は、3度目にして初めて、マンションの5階にある居室まで車いす無しで登場した。これまた進歩である。「今日は車いす無しで来ましたよ!」と、顔なじみの介護スタッフが得意げに言った。

部屋に招き入れ、母はさっそく1歳半の孫と遊びはじめる。
その間、私は介護スタッフと今後の相談をする。

退院はちょうど1か月後の5月24日となった。
退院後の生活についても話し合った。夜間、18時から21時または22時ころまで、どうしても母を一人にしてしまうので、改めて小規模多機能をすすめられたが、どう考えても夜の22時ころに1歳半の息子を連れて徒歩でお迎えに行ける距離ではないので、途中ヘルパーさんに来てもらうことにした。

早急にケアマネを探さなければならないと、自宅から近い事業所のリストを渡された。
それは、居宅介護支援の事業所が80社近く並んでるリストだった。

その中から5社ほど○で印がつけてあったが、電話番号がのってるわけでもなく、後は勝手にしてくれ状態で、顔には出さなかったが、少しむっとした。
こんなリストを渡されて一体どうしろと?何を基準に選べと?
明日にでも地域包括センターに電話した方がよさそうである。

その後、リハビリも兼ねてと、母が一人でお茶を淹れられるように、ティファールを使ってお湯を沸かす練習をした。
「え?そんなこともできるの?!」と、私はびっくり驚いて、介護スタッフが母につきそいながらお湯を沸かしてお茶を淹れるのを見守った。

母は、湧きたての熱湯を、自分の太ももにこぼしてしまった。

慌ててズボンを脱がし、赤くなった細い太ももに水で濡らしたタオルをあてる。氷を持ってくる。救急箱を探して火傷にも使える軟膏を持ってきて塗ってやる。妙に白いオムツが視界を占領してくる気がして無駄に困った。やはりこれが現実なのだ。

大事には至らなかったが、私は、どんどん不信感がつのる。

悪気はないんだろうと思う。きっとたくさんのことを教えてくれようとしているんだろう。でも、別にできなくていい。あたたかいお茶なら私が淹れます。ということで、包丁も火も禁止させていただいた。一人でいる間はガスの元栓も閉めておく。

病院の介護スタッフの方にはそれで納得していただき帰ってもらった。

帰ってきた夫と、母と、息子と私。
4人でささやかな食事をしてくつろいでいたら、妹がやってきた。
母の今後の生活のことで、今度は妹と大喧嘩になってしまった。

ヘルパーさんなんて入れなくても、3~4時間くらい、母なら一人で居れるだろうというのが、妹の意見だった。だいたい、知らない人を家に入れるのって嫌じゃないの?と、言うのだ。それがケアマネのセリフなのか。

ばかじゃないの。

大喧嘩勃発である。

昨夜のことなので、私はまだ興奮冷めやらない。
今、記事にしたら大悪口大会になっちゃいそうだ。
なので、ここはグッと我慢して、今はやめておこうと思う。

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病院までは、1歳半の息子を連れて往復3時間の道のり。途中ぐずられることもあるし、都会を通り過ぎる頃は満員電車だし、帰ってきたらすぐに仕事が待ってるし、正直に行ってお見舞いに行くのは本当にしんどい。

だけど、水頭症のシャント術を受けてリハビリ病院に戻ってからの母の様子は、会うごとにまた何か一つ、新しいことができるようになっていて私は驚き、そのたびに、やっぱり多少無理してでも来てよかったなと思うのだった。

なんと先日は、麻痺のある右手でお箸を持って食事をしていたのだ!

わ!お母さん、お箸、使ってるやん!!

病院に着いた早々、みなさんが昼食タイムの中、びっくりしすぎて大きな声を出してしまったが、そんな私の大声よりも、母は、孫に会えてうれしそうに笑った。周りのおばぁちゃん連中が1歳半の息子を見て可愛い可愛いとはしゃぎだしたのを、自慢げな顔をして、「私の孫よ」と、ちょっとだけふんぞり返ったように思う(笑)

その後、病院の広々リビングで息子を遊ばせながら、特になんてことのない話をして(というか失語なのでわからないが)母と二人でやんちゃ盛りの息子が暴れて病院の物を壊したりしないように見守った。

「おばぁちゃんのところにおいで!」と私が声をかけると息子は一生懸命駆けてきて、両手を広げてソファに座るおばぁちゃんにダイブした。感動しすぎた母は、11キロもある息子を両手で抱えて抱っこして、自分の膝の上に乗せた。居心地の悪かった息子はすぐにイヤイヤと降りてしまったけれど、私も、周りにいた職員の方たちも、「抱っこできたね!!」と、驚いた。

遠いし、仕事もあるので、いつも見舞いに来ても1時間ほどしかいられない。この日もすぐに帰りのバスの時間が迫ってきた。母もリハビリの時間だ。

建物の下まで見送りに来てくれた母に、「次に会えるのは、来週の月曜日。外泊だから、お母さんが会いに来てね。待ってるからね。」と言った。それを聞いた母は、うんうん頷いて、名残惜しそうに、「ほな、明日な。」と言った。「明日じゃないよ。来週の月曜日やからね。じゃぁね。ばいばい。またね。」バスの中から息子と一緒に手を振る。母も職員さんに付き添われながら、ずっと「ばいばい」と繰り返して手を振ってくれていた。

早く、一緒に暮らしたいなぁ。

そう思った。

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水頭症のシャント術を受けてリハビリ病院に戻ってから初めて、母がうちにやってきた。くも膜下出血で倒れて以来、同居の練習として母がうちに泊まりにやって来るのはこれで二度目だ。どうやら一度目のことはもう忘れてしまったようで、その時のことは覚えていないと、母は首を横に振っていた。

しかし、シャント術を受けてだいぶしっかりと歩けるようになった母だったので、前回は必ずつまづいていたリビングと玄関の間の内ドアの段差も、自分の注意で足を踏みしめて歩くことができていた。すごい。これなら一人でトイレに行ける!しかも、シャント術を受けて以降、一度も失禁がないのだ。すごいすごい!!

念のためにと、母はオムツをしているし、用意されたお泊りセットの中にもオムツが入っているのだが、付き添いで来た病院の介護スタッフが帰った後、母はそのオムツを手に取り困った顔をして見せ、「こんなの本当はもういらないのよ」というようなことを私に言ったので、私は思わず「ふふふ」と笑ってしまった。つられて母も一緒に笑って、「使いませんでしたって持って帰ろうか」と言った。うんうん。そうしよ。

本当はもうオムツなしでも大丈夫なんだよっていう、でも介護職員の方たちにはナイショだねっていう、小さな秘密を母と共有したような感じだった。

帰って来た夫と、まだ小さな息子と、母と私と、みんなで食卓を囲んでささやかな食事をしたのだが、母は驚くほどよく食べて「おいしいね」と言ってくれた。「どうやって作るの?」と。まさかこんなに会話ができるなんて、病院に見舞いに行った時の短い時間では想像もつかないことだった。

もともとよく喋る母だったので、その母が戻ってきたようでうれしかった。もちろん、理解できない会話の方が多いのだけど、意味のわかる言葉が増えたことが本当にうれしい。私も夫も、わからない言葉にも何となくわかるフリをしてうんうんと頷いた。本当はわからないのだけれど、それでいいと思った。

食事がすんだあと、みんなでお布団を並べて休んだ。夜中に3度ほど、母は一人で勝手にトイレに立ったようだったが、問題の段差にもつまづくことははかった。

朝起きて、朝食をとり、片付けを母に手伝ってもらった。食べたら歯磨き!と、母にも1歳の息子にも歯ブラシを持たせてみんなで歯磨きをした。ふと時間がたって、そういえばそろそろ騒ぎ出すはずの息子が静かだなと思ったら、息子は母と一緒に夫の財布を散らかして遊んでた。それを見て夫が一人で騒いでいたが、実に平和で穏やかで幸せな毎日の中の1日のようだった。

笑顔で母が帰った後、シャント術後の母の回復ぶりを初めて見た夫が「奇跡やな」と言った。「これはお金では買われへんで」とも。

母のことだけでなく、いろいろな意味で本当によかったと思った。夫のことも、母のことも、息子のことも、私は本当に家族に恵まれている。家族を大事にししなくちゃ。本当に心からそう思った。

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「2日後、元のリハビリ病院に戻ることになりました」と、水頭症のシャント術を受けた病院から電話をいただいた。

いや、そんな急に言われても。

シャント術を受けた後の行先について、何かこちらに相談があると思っていたので、いきなり転院の日が決まっていることも、転院先の病院がもといたリハビリ病院だったことも、少し驚いてしまった。こんなものなのかな。誰にどんな文句を言えばいいのかすらわからない。いや、別に何か文句をつけたいというわけではないのだが。

午前9時に来てくれと言われたがどうしたって行けないので、母は一人で介護タクシーに乗ってリハビリ病院に戻ることになった。荷造りは病棟のスタッフがしてくれるということだった。

私と息子は少し遅れて病院に到着。入院費の清算を済ませて、お薬など必要なものを受け取り、再びあの豪華リハビリ病院に向かった。

着くと、古巣に帰ってきたように母は元気にしていた。
翌日に行うお花見のゼリーをみんなで作るんだとかで、楽しそうに笑っていた。

私は入院に必要な書類にサインをし、保険証や限度額認定証などを提示した後、今後の相談となった。

入院日数は継続となるため、あと1か月ほどしかいられないそうだ。

シャント術を受けた後、またしばらくはいれると思っていた。
大急ぎで母を迎える準備をしなければならない。
いよいよだなと思った。

母にも慣れてもらわなければならないので、今度、母が泊まりに来ることになった。
シャント術を受けて、だいぶ回復した母だったので(リハビリ病院のスタッフにも驚かれた!)次の外泊は少し楽しくなるんじゃないかと、勝手に期待している。

楽しみだ!(^^)

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猫と一緒に一人暮らしをしていた母がくも膜下出血で倒れた。幸い命は助かったが、高次脳機能障害と右側の片麻痺、失語の後遺症が残り、介護が必要となった為、もう一人では暮らせなくなってしまった。

気持ちだけではどうにもならないお役所手続きやお金のことを考えてみる。
もちろん、母の場合に限る。

  1. 飼い猫と住宅について
  2. 猫は引き取り、母の荷物も業者に頼んで我が家に持ち込み、家を空っぽにした。荷造りをしながら貴重品を探す感じになった。持ち家のマンションだったため、管理会社に連絡。郵便ポストに不要なチラシが入っていたら捨ててもらうようにお願いした。郵便物は転送届を出しておいた。無駄な光熱費がかからないよう、ガス・水道・電気を止めた。

  3. 役所に行く
  4. 高額療養費の限度額認定証をもらって病院に提出。障害者手帳の申請は倒れてから半年後に行うように教えていただいた。この先、どうすればいいのか途方に暮れている頃で、どうにか国の助けはないものか訴えたが、けっきょく何もなかった。

  5. 介護認定調査
  6. リハビリ病院に調査員がやってきて行われた。要介護4となる。これに関してはこちらはほとんど何もしていない。

  7. 役所その2。住所変更と世帯分離の手続き
  8. 退院後は母と同居することを決めたので、住所変更の手続きを行った。転出届けは郵送で完了した。同居はするが、念のため、世帯は別とした。転出も転入も、またそれに伴う国保の手続き、介護保険の手続き、介護保険の負担限度額証、印鑑登録、すべてにおいて委任状が必要だったが、母に字は書けないので私の代筆である旨を一筆書いた。

  9. 住宅とお金について
  10. 空にした母のマンションだったが、持ち家だったため、毎月の管理費・修繕積立金が口座振替されていた。この金額が母の唯一の収入である老齢年金のおよそ7割を占めていた。必要な国保料や介護保険料を支払うと手元にはほとんど残らない。貯蓄を崩しての生活となってしまっていた。これではいつか生活が破綻してしまう。そこでマンションを賃貸に出して月々の糧とすることにしたが、賃借人は未だに決まらない。

  11. 固定資産税の減免がなくなる
  12. 母の唯一の収入である年金が少なく生活に困窮していたので、固定資産税を減免されていたが、あくまで「自分が住んでいることが条件」らしく、同居を決めて住所変更を行ったことで、減免がなくなった。こんなに困っているのになんでだろうと思ってしまう。

  13. 障害年金は65歳以下
  14. 老齢年金が障害年金に変われば、少しはましになるのじゃないかと、年金事務所に行って事情を話してみたが、障害年金は「その障害をおった日が65歳以下でなければならない」のだそうだ。くも膜下出血で倒れた母はその時67歳。要するに、「年とれば誰だって病気するでしょう。そこに年金は使えません」ということらしいのだ。そういわれてみればそうだ。納得して帰ってきた。

  15. ならば生活保護か
  16. 同居を決める前、まだ施設入所を考えている頃に生活保護を申請することも考えた。たとえ施設に入所したとして、この先何十年、どうやってその施設代金を払えというのか。いつか確実にお金はなくなってしまうのだから。しかしやめた。もしかしたらこの先、どうにもならなくなって国に頼らざるをえなくなる日がいつかくるかもしれないが、その時はその時。また考えればいい。

  17. 二重に支払った入院費はどうなるのか
  18. 1か月の途中で転院があり、それぞれの病院でいったん、入院費を支払ったが、病院が2か所あるので、高額医療費の限度額を超えている。この差額はどうすればいいのかと役所に問い合わせた。心配せずとも、勝手に保険給付課から高額療養費支給申請書が届いた。口座情報を記入して送ると差額分を振り込んでくれるようだ。期間は2年あるので、まとめて申請してもいいそうだ。

以上、母がくも膜下出血で倒れてから半年の間に行ったことである。
まだまだこの先色々な手続きが出てくると思うので覚書として残しておきたい。

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水頭症のシャント術のため、大病院に戻ってきた母の手術も無事に成功し、術後の回復もすこぶる順調で、母は会うたびに元気になっているような気がしたので、私は、往復3時間かかろうが、この後、仕事が待っていようが、近頃すっかり電車が大好きな1歳半の息子を連れてのお見舞いが楽しみになってきた。

もちろん、体はしんどいが。
足取りは軽い。

手術前は、母の話す言葉は9割、意味がわからなかったが、今は、8割くらいまでになったような気がする。両手で支えなければ歩けなかったが、一人で歩くし、階段の上り下りもできるようになった。食事もちゃんと食べてるようだ。

何より、リハビリ病院にいた頃は考えられなかったが、退屈そうだ。

これは、元気になって気力が戻ってきた証拠ではないのか。
ベッドでじっとなんてしていられないのではないのか。
動きたくて、何かしたくて、うずうずしてきてるんじゃないだろうか。

そう思えて、私はうれしくなった。
生きてる。

ふと母の手を見ると、爪が伸びていた。

「前のとこでは看護師さんがやってくれたから」

というようなことを言って、母は笑った。

次にお見舞いに行くときは、忘れずに爪切りを持って行ってあげなくちゃ。
そしてこれからは私が切ってあげよう。
そう思った。

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